おかげさまで、先週は毎平日の朝、駅に立って、多くの方にビラを手にしていただけました。
「また今週も頑張ろう」と思えた一週間であったと同時に、なるほど一人で活動していると、だれも自分のことを撮ってはくれないから、自分の写真を載せられないんだな、と寂しく感じた一週間でもありました(笑)
以下、思わず熱くなってしまいました。お時間のある時に。
====(多く聞かれる質問)====
「なんで政治家になりたいと思ったの?」
私は次のように答えています。
「政治家になりたいというよりは、世の中を変えたいんです。」「政治家になることが「目的」ではなくて、世の中を変えるための「手段」の一つだと思っています。」
「論点をずらして何を言っているんだ」と思われる前に、まず弁明させてください。
====(世の中を変えるには?)====
世の中には納得できないことがたくさんあります。私が何を変えたいと思っているかについては個人FBの投稿やいずれこのページでもお伝えするとして、今日はそんな世の中を変える「手段」に焦点を当てます。
世の中を変える方法は別に“政治”じゃなくてもいいですよね。どんな方法があるか、考えてみました。
【政治の世界から世の中の仕組みを変える】
最も直接的に世の中の仕組みを形成しているのは、政治です。でも、それ以外にも世の中を変える手段はいくらでもあります。下のように。
【ビジネスの世界からイノベーションを起こす】
発明や技術革新は、世の中を変えます。例えば、スマートフォン。スマホが普及したことで、電車内での過ごし方も変わったし、ネットの閲覧も、連絡を取り合うのも手軽になりました。スティーブ・ジョブズは間違いなく、ビジネスを通して世の中を変えましたし、彼のように新しいアイデアを形にできれば誰でも、世の中を変えられます。
【言論・教育の世界から意見を発信する】
テレビや本、ネットなどのメディアで自分の思いを訴える、あるいは教育者として後進を指導することでも、世の中は変えられます。世論の風向きを操ることができれば、しまいには政府の方針すら変えることだって可能です。
仮に、この3つの道を見比べたら、間違いなく、ビジネスの世界から世の中を変えようとするのが最も賢くて、早いと思います。プライベートは確保されるし、批判の対象にはなりにくいし、選挙のように定期的に失職の審判を受けることもないし、成功すれば大儲けもできます。
一方私は、政治が、もっとも根源的で、もっとも状況が深刻で、そしてもっとも若者の目線が不足していると感じたから、政治の道を選択しようと思っただけで、志は「政治家になりたい」ではなく「世の中を変えたい」にほかなりません。
ですから、政治家になることそれ自体を、目指すべき目標のように言うのは違うのではないか、と思い、私は「政治家になりたいのではなく、世の中を変えたいんです。」と答えるのです。
====(政治家になるのは「目的」か?)====
ところがです。「政治家」を志す人の中に、「政治家になるのが夢です」と言う人の、なんと多いことか。(かつてそう言っていた自分をはたきたい…)そして、現職の政治家の方にも「政治家であり続けるために、政治活動をする」ように見える方は多いです。
そのような人にとっては、政治家でいること自体が最大の目的ですから、ライバル政治家の足を引っ張りつつ、おなじみの支援者からの陳情を役所に訴えさえすれば、一定数の票が取れ、安定した生活を送れることでしょう。(決して私は陳情を軽視している訳ではありません)
もちろん、ほとんどの方は、懸命に、まさに“命を懸けて”活動されているはずです。でも、どれだけ真剣に、必死にやられていたとしても、「世の中を変える」という目的よりも「政治家でいたい」という思いの方が強くなってしまうと、これからの時代が求める政治家の姿から、根本的にずれてしまいます。
====(これからの時代に求められるのは?)====
減る人口。しぼむ財政。限界の近づく年金、医療、介護。すべてに対処できないから、行政サービスに優先順位をつけないといけない。高度経済成長期の時代のような、道路を作ったら国からお金をもらえて、みんな使えてみんなハッピーというような政策はあり得ません。だれかが得をすれば必ずだれかが損をすることになります。
そんな時代を、今の政治のまま迎えるとどうなるか。政治家でいることを「目的」と考えた場合、投票に行かない若者よりも、自分たちを受からせてくれる方々の意見を聞きます。そりゃそうですよ。
世の中を変えようとすると、今のニーズと未来のニーズが度々食い違い、未来のニーズは常に不利な状況になります(大阪都構想を見ていると特にそう思います)。
そしてそれによって、若者の政治離れ、政治不信はますますひどくなる。日本の未来に垂れ込める暗雲は、ますます濃くなる。
政治はこれから起こる問題に先手先手で対処しなくてはいけません。反対者を押し切り、目先の当選ではなく、将来の地域のことを考えて主張することこそがこれからの政治に求められるのだと思いますが、そんなことができるのは、政治家でいることにしがみつかず、あくまで「手段」と割り切って挑戦する、そんな政治家だけだと思います。
====(挑戦したい)====
ここまで書いてきたことは“キレイごと”です。政治界は“キレイごと”では生き残れない世界なのかもしれません(そんな予感はぷんぷんしています)。
でも、25歳の自分が、今までと同じような “政治家”像を目指すのならば、別に自分がならなくてもいい。いやむしろ、そんな思いで、25年しか経験を積んできていない若者に政治を任せるくらいであれば、それは目黒の未来にとって害にしかならないから、やめるべきですね。
私には地盤(後援会)も看板(知名度)もカバン(潤沢な資金)もありません。おまけに無所属で、最年少の25歳です。圧倒的に不利な条件。今までの常識からみれば間違いなく厳しい。
でも、
これから求められるのは、そういう今までの政治から見て常識外れの人間なのではないか。
落選のリスクの少ない方(親が政治家で最初から支援者がいて、政党の支援を受けて組織ぐるみで票が固まっている方)ばかりが政治家になって、それで今まで政治は世の中を変えられてきたか。あるいは秘書としてこれまでの政治のやり方を見習って、その通りに行う人たちが、政治を変えられてきたか。この硬直した政治の現状は、そういう人たちばかりだったから生じたんじゃないのか。
今の自分自身が、大きな改革をなせるだけの素晴らしい人間だ、なんて言うつもりは全くありません。でも若いからこそ、自分の主張の政策に固執するのではなく、いろいろなことを吸収していけます。一番大事な芯の部分、「世の中を変えるために政治の世界に入ったんだ」という意志さえぶれずに持ち続けられれば、政治は変えられるはずです。
「政治は変えられる」なんて、「政治にしがみつかない」なんて、今その立場にいないからこそ言える、若輩者の”思い込み”なのかもしれません。でもそれなら、本気で”思い込んで”本気で“挑んで”やりましょう。
身を捨ててこそはじめて、浮かぶ瀬もあるというものです。
====(未来の自分へ)====
今、小泉進次郎氏の発言を思い浮かべています。
「政治家は、“職業”ではない。政治家という“生き方”なのだ。」
その通り、
政治家は、叶えたい未来を作る上での“生き方”そのものです。
この投稿を十年後の私が見たとき、
「この頃は頭の中がお花畑だったんだな」と思うのでしょうか。
そうであってはいけません。
十年後、数十年後の私自身に向けて、「初心を忘れていないか」くぎを刺すためにも、この投稿を折に触れて振り返ることが必要になりそうです。
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