しばれる季節になってきました。
(「寒さ」を表すどの標準語よりも、私はこの北海道弁が一番しっくりきて好きです)
自分の頭は「北海道で4年間修行していたのだからこのくらい」と気張っていますが、
自分の体は「寒いものは寒い」と、しきりにホットコーヒーを要求します。
そして当然、体の要求がそのまま可決されるのです。
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最近は駅前で活動しつつ、政策の勉強と事務作業に追われる日々を送っております。
そんななか、先の日曜日に、私の住む南一丁目に新しくできた公園の、
開園記念式典に参加しておりました。
私は町内会の一員として裏方でしたが、
記念演奏にお越しいただいた、地元在住のプロバイオリニストの方のそばで、
譜面台のセッティングなどをお手伝いする“おいしい”役目をいただきました。
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最近とみに思うのです。
自分は音楽好きでよかった、と。
いざというときに信頼できる仲間と、たくさん出会うことができたから。
昔のオケの仲間、あるいは初対面の人でも、音楽が好きというだけで、「何の曲が好き?」とか「今度マーラー弾くの?うらやましい」とか、共通の話題で盛り上がれる。
そんな話をしていると、一気にその人の外面を取り払った内面が見えるから、共通の趣味のない人よりもよっぽど早く、話している相手と心からの会話ができる。
多分これって音楽だけじゃないですよね。
ドライブでも、書道でも、登山でも、なにかに熱中している人同士だと、その話題を話しているだけで、話している人自身のことも、信頼しやすくなるのではないでしょうか。
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地域のつながりが弱くなっている、とよく言われます。確かにそうでしょう。ご近所同士での助け合いは年々無くなっていくように感じます。
しかし、
家族以外に頼れる人がいない、しかもその家族も祖父母は田舎で父と母の2人しかいない、ということになると、特に仕事をしながらの子育てなどは本当に大変だろうと思います。
目黒区内で女の子が虐待死してしまった、あの痛ましい事件も、突き詰めれば家族だけでの子育ての限界を物語っているのではないかと思います。
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とはいえ、昔の田舎のような、濃ゆいご近所づきあいはしんどい。第一、お隣さんは自分で選べません。気が合わないからやめた、ということになると、もう引っ越すよりほかにありません。
だからこそこれからは、お隣さんとのつきあいよりも同じ地域内での“趣味でのつながり”が大事になってくるんじゃないでしょうか。
ちょっと自転車を走らせるくらいの距離に、共通の趣味を持つ人がいる。
家が隣じゃないから、普段から気を使いすぎることはない。
程よい距離にいながら同じ趣味を持ち、時々一緒に楽しみながら、子育てや仕事の相談をしたり、困ったときに助け合える仲間がいる、そういう関係が理想だなと思うのです。
でも現状は、
私自身、長年音楽を好きでいて、同じ地域に住んでいたのに、同一町内に今回演奏してくださったプロの方がおられるなんて知りませんでしたし、他にも、どれだけ楽器を弾く方が地域にいるのか、全く分からない。頼るべきはそういう方々なのではないか、ともったいなく感じます。
「趣味のつながりをうまく活かせないかな?行政でなにかサポートできないかな?」と、 そんなことを、『タイスの瞑想曲』の音色に浸りながら瞑想しておりました。
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式典の最後のお汁粉は体に染みました~
皆様も、どうぞご自愛ください。
(写真の撮り方は相変わらず要改善ですね)
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