活動報告(ブログ)

若い世代と政治

区内の駅を一巡しました ~私の思い~

昨年11月から毎平日早朝より、駅前に立たせていただいておりましたが、とうとう先週をもって、区内(および区外近隣駅)の14駅全てにおいて、政策資料を配布させていただくことができました。
ご通行の妨げになってしまったことも多々あったか思いますが、多くの方に受け取っていただき、本当にありがとうございました。

[山手線]
目黒駅(品川区)2日間
[目黒線]
武蔵小山駅(品川区) 2日間・西小山駅3日間・洗足駅3日間
[大井町線]
大岡山駅3日間・緑ヶ丘駅2日間・自由が丘駅5日間
[東横線]
都立大学駅3日間・学芸大学駅4日間・祐天寺駅5日間・中目黒駅7日間
[田園都市線]
池尻大橋駅3日・駒沢大学駅(世田谷区)1日間
[井の頭線]
駒場東大前駅1日間

今週からは新しいリーフレットを手に、改めて各駅を回ってまいります。「25歳」のたすきをつけ、「最年少」ののぼり旗と一緒におります。見かけられた際には、政治のことでも他の話題でも、お気軽にお声がけいただけると嬉しいです。

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さて、この機会に改めて、私がなぜ25歳で政治の道を志したのか、その“思い”を書かせていただきます。(個人フェイスブックから一部改訂)
文字だけだと味気ないので、前職時代に撮り溜めた写真を掲載します。

毎朝、駅に立っていると色々な方から
「25歳、若いね」と、
良い意味でも悪い意味でもお声がけいただきます。
なかには「25歳なんて言わない方がいいよ」と、
ご忠告くださる方も。
ありがとうございます。

でも私は、25歳で政治活動を行うことを、
「若すぎる」とは思いません。
25歳だからこそ言いたい、今でないと訴えられない、
そんな自分の“思い”を記します。

富士山を遠望(静岡)

2年半前に大学を卒業して、地元目黒に戻ってきてから、私は東京のコンサルティング会社で働いていました。仕事は地方自治体の行政計画(様々な行政サービスの数年間の方針)の策定や、市区町村のPR用の動画・パンフレットを作ることが中心です。

出張先で雪まみれ(新潟)

新潟県、群馬県、神奈川県、静岡県の計100か所以上の市町村役場を車(日産マーチ!)で回り、現地の役所の方や住民の方と一緒に、”各地域のこれから”について考えてきました。

手水舎(群馬)

やはり、地方の現状は厳しいです。

▼入学者数が30年前の4分の1にまで減ってしまった小学校
▼人影がなく、閉まったシャッターと汚れた看板が並ぶ駅前通り
▼若者が離れゆき、人口の半分が高齢者になった町や村

かつてはもっと人がいて、祭りとか、地域交流とか、賑わっていたんだろうな、と思えるような無言の町並みを車窓に見ながら、一抹の寂しさとともにハンドルを握る毎日でした。

達磨寺(群馬)

そんな仕事をしている中で、常に感じていた、そしてとりわけ強く考えていたテーマが、
「若者と政治との距離の遠さ」でした。

地域の課題を住民同士で話し合う座談会を役所が行っても、ご高齢の方ばかりで若者の姿がない。生活への満足度を問う住民アンケートにも若者は回答しない。選挙にも行かない。

本当は、若い世代の人にもいろいろ言いたいことはあって、SNSや、呑みの席では結構政治トークが盛り上がったりもする。それなのに、政治の場、役所での公式の場となった途端、若い人は敬遠しだす。そしておそらく、そういう政治の場、公の場そのものに意味を感じていない。

そうやって結局“未来の中心世代”不在のまま政治が決まってゆくのを見ていて、でも自分にも何もできなくて、2年半ずっと、やりきれない思いを感じていました。

西伊豆の海岸(静岡)

こうした現状は、私の地元・目黒区でも決して他人ごとではありません。
いずれ目黒区でも、私が見てきた地方部のように、高齢化、現役世代の人口減少と財政難が進みます。それによって、高負担・低福祉の厳しい時代が訪れたとき、一番苦しい思いをするのは、間違いなく若い自分たちの世代。

それなのに若者の投票率、アンケートへの回答率は軒並み低く、区の広報は読まずに捨てる。そして、【今の区議会議員36人のなかに20代はゼロ。その平均年齢は53歳】です。

未来の当事者であるはずの若い世代は、多くの人が区政に関われていませんし、関わろうともしていません。

酒匂川の桜(神奈川)

果たして、これでいいのでしょうか。
20・30代の私たちが区政を白紙委任して、数十年後に中心世代として区政のバトンを渡されたとき、自分たちの無関心の末に行きついた未来に責任を持てるのでしょうか。

2001年の三兄弟

私は去年の11月に25歳の誕生日を迎えました。

25歳といえば…
源義経が、一ノ谷の戦いで平氏軍を急襲、全国に名が知られるようになった歳。
織田信長が、桶狭間において今川義元を討ち、天下取りへの道をスタートした歳。
高杉晋作が、奇兵隊を率いて長州藩に挙兵し、倒幕への第一歩を歩み出した歳。

先人たちが、人生を変える大きな決断を下し、大舞台へ羽ばたき始めた年齢です。

そして私も昨秋、務めていた会社を退職しました。

「このままだと、未来の日本はどうなるか本当に分からない。今のうちに何かしておかないといけない。」そんな不安は、誰もが感じていることです。
でも”実際に”変えるためには、不安に思っているだけではダメで、当事者世代の誰かが、自ら立ち上がって、声を上げないといけません。

それならば、自分がまずやろう。
そう思ったからこそ、
私は退路を断ち、声を上げ始めました。

目黒の神輿

私にはいわゆる3バン、地盤(後援会)も看板(知名度)もカバン(潤沢な資金)もありません。おまけに無所属で、最年少の25歳です。選挙には圧倒的に不利な条件。今までの常識からみれば間違いなく厳しい。

でも、
今までの常識通り、落選のリスクの少ない方
(親が政治家で最初から支援者がいて、
政党の支援を受けて組織ぐるみで票が固まっている方)
ばかりが政治家になって、それで政治は世の中を変えられてきたか。

この硬直した政治を変えるのは、そういう今までの常識から外れた人間なのではないでしょうか。

夕暮れの海辺(新潟)

若干25歳の私が、今までと同じような “政治家”像を目指すのならば、別に自分がならなくてもいい。いやむしろ、25年しか経験を積んでいない若造が今まで通りの政治家を目指すのならば、何の役にも立ちません。

若いからこそ、常識外だからこそ、
「若い力で未来は変えられる」
そう本気で”思い込んで”本気で“挑んで”いきます。

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「自分たちの未来に、無責任でありたくない。」

その思いを胸に、私かいでんは生涯をかけて挑戦します。

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